教科書から消える
2020年3月20日の朝日新聞に、「士農工商」と「慶安の御触書」についての記事がありました。
- 「士農工商」は、中国の古典に由来。もともとは序列ではなく、社会一般の人々という意味
- 最近の教科書(詳説日本史)では、武士は支配身分であり、一方、社会の大半を占める被支配身分は、百姓、職人、家持町人の三つを主なものとすると記載
- 士農工商は、固定的身分ではなく、武士以外の百姓、職人、家持町人は横並びと説明
- 支配層は、武士以外に、天皇、公家、上級の僧侶、神官
- 何れにも属さないのが、宗教者、医者、儒者、芸能者
- 慶安の御触書は、朝ははやくおきろ等で有名
- しかし、これは本来の御触書ではなく甲州や信州の教諭書「百姓身持之事」を美濃国岩村藩が出版したもの
- 「士農工商」は、「四民平等」のイデオロギーのため、明治政府が強調
- 「慶安の御触書」は、明治期に司法省が「徳川禁令考」として収録。昭和期に食料不足を耐える文脈で使用された
とあります。
コメント
「農工商」の部分は流動的であり、最近の歴史教科書では、「士農工商」という言い方を特にしていないことのようです。
網野善彦先生の本に、特に百姓という言葉は相当広いもので、農業に従事する農民だけではなく、漁業をしていたり、製造業をしていたり、もろもろの仕事をしている人が百姓と呼ばれていたとあったと記憶しています。
当時の百姓は、今の言葉でいうと事業主という感じでしょうか。
そういう意味では、歴史教科書から、「士農工商」の言葉が消えたのは、特に驚くことはない変化なのだと思います。
遅れた江戸時代から、西洋の制度や考え方を取り入れた進んだ明治になったということが、必ずしもそうとばかりは言えないという話だと思います。
もう一つの慶安御触書ですが、内容が凄いですね。
幕府の法令を怠ったり、地頭や代官のことを粗末に考えず、また名主や組頭のことは真の親のように思って尊敬すること。
酒や茶を買って飲まないこと。
農民達は粟や稗などの雑穀などを食べ、米を多く食べ過ぎないこと。
農民達は、麻と木綿のほかは着てはいけない。
早起きをし、朝は草を刈り、昼は田畑を耕作し、夜は縄を綯い、俵を編むなど、それぞれの仕事を油断無く行うこと。
男は農耕、女房は機織りに励み、夜なべをして夫婦ともよく働くこと。
煙草を吸わないこと。
江戸期の生活状態として、小中学校のころに説明で聞いたように思いますが、どこまでこのような内容が徹底されていたのかは、疑わしい感じです。
数十年前に学んだことが、歴史の研究が進み、実は違っているということが、相当多くなり、現在の歴史教科書で勉強し直しが進んでいるようです。
あまり話題にはなっていないのですが、これと同じことが、世界史教科書でも起こっているはずです。