口説く自由
2018年1月11日の朝日新聞にカトリーヌ・ドヌーブさん他約100名が、ル・モンドへ、「口説く自由」はあるという寄稿をしたことが話題になっています。
- 米国の大物プロデューサーへの告発をきっかけに世界に広がった性被害やセククハラの告発について、カトリーヌ・ドヌーブさん他が「口説く自由はある」と異論
- ル・モンドに約100人の連名で寄稿
- 性暴力は犯罪
- だが、しつこく、不器用でも口説くのは罪ではない
- 仕事上の会食中にひざに触れる、キスを求める、性的な話をするといった行為だけで男性が罰せられ、職を失っている
- 弁解の機会もないまま性暴力を働いたのと同様に扱われていると強調
- 女性を常に犠牲者として守ろうとするのは、女性のためにならない
- 寄稿に対し、「性暴力の被害者をおとしめている」といった批判が出ている
反響が大きかったのか、既に、一部謝罪がされているようです。
- 忌まわしい行為の被害者が、傷つけられたと感じたのなら、おわびする
- リベラシオンに書簡で謝罪
- 当然ながら、寄稿はセクハラをよしとするものではない
- 寄稿には必ずしも正しくない部分があった
- ネット上の告発が人を裁き、刑の宣告となるような風潮を好まない
- おしりに触れただけで俳優が映画から姿を消したり、企業幹部が辞任に追い込まれたりしていると指摘
- ネットも通じた告発がもたらす影響には懸念を示した
とあります。
コメント
挨拶で抱擁したりする文化の国とそうでない国があるので、その文化の差も考えて、記事を読みました。
カトリーヌ・ドヌーブさんは、もてる人なので、このようなことを言うのかなとも思いましたが、単純な話ではないようです。
この話を読んで、フランス人は面白いなと思いました。
アメリカ人は、例えば、たばこが健康被害があるとなると極端にたばこを嫌うようになります。70年代は飛行機で吸っていたのに、80年代はビルの外で吸うようになるというのは、極端から極端にシフトしすぎに思います。まるで禁酒法のようです。
この点、フランス人は、アメリカほど禁煙運動が盛んではないと聞きます。批判精神が旺盛なためでしょうか。これはこれで健全なのだと思います。
また、カトリーヌ・ドヌーブさんの謝罪もすばらしく、すぐに火消しをしているので、問題が大きくならないと思われます。この素早い謝罪は、危機管理やブランドの名声の管理でも非常に重要な点です。
有名人なので、どうしても名前が出てしまいますが、カトリーヌ・ドヌーブさんは、ル・モンドへの寄稿にサインはしたようですが、メインのライターではなさそうです。
さて、BBCの日本語サイトを見ていると、ル・モンドに寄稿した人達の考え方が少し出ていました。
朝日新聞が触れていない部分としては、次のような記載がありました。
- 昨年から次々と表面化する性的スキャンダルは、新たな「ピューリタニズム(清教徒的な過剰な潔癖主義)」の波が起きていると警告
- 作家や学識者、表現芸術の関係者など著名なフランス人女性100人
- 男性が紳士的にふるまうのは、決して男尊女卑な攻撃ではない
- ひっきりなしに続く糾弾の波は、収拾がつかなくなっている
- このせいで、まるで女性が無力で、慢性的な被害者であるかのような雰囲気、女性をそのように見る風潮が生まれている
- このフェミニズムの動きに、女性としての自分を見いだせない
- 権力乱用を非難する以上に、男性や性的なものを憎悪する動きになってしまっている
- 女性たちは、ハリウッドを中心とした動きに距離を置いた
ピューリタニズムが、キーワードと思いました。英米が極端に振れる時がある原因なのだと思います。
また、BBCの謝罪の方の記事には、次の説明がありました。
- ドヌーブ氏らの書簡に対する反発は、フランスでは大きな話題にはなっていない
- 性的暴力の常習者を名指しすることの是非について、フランスでは数カ月前から賛否両論
- 特に、世代間の不一致がある
- 性暴力被害に名乗りを上げたり、被害者に連帯するなどの運動について、年長者の世代は1960年代にやっと獲得した性の解放の成果を台無しにするものだと懸念
- 若い世代は、性的暴力への戦いは女性の権利を求める戦いの同一線上にある、最新の局面だと位置付けている
このあたりになると、よく理解できていません。なにやら、難しい議論があるようです。