波乱万丈
2019年1月19日と26日の土曜日の、日経の日本史ひと模様で、歴史学者の本郷和人さんが書かれた高橋是清の人生の紹介コラムを見ました。
まさに、波乱万丈の人生です。
- 御用絵師が奉公人の娘に手を付けた→養子→寺の小僧→悪ガキ
- 横浜で外国人のボーイ=英語を学ぶ→ヘボン塾(明治学院の前身)で学ぶ→アメリカへ留学(ラトガー大学)→貿易商に学費や渡航費を着服される→その両親に騙され、オークランドの葡萄園に売られる
- なんとか帰国→生きた英語で大学南校(のち東大)で教鞭→お酒と芸者遊びでヒモ同然→職場をクビになる
- 唐津で英語教師→共立学校(開成中学・高校)で英語の教師
- 文部省入省→農商務省に出仕→商標登録所(のちの特許局)の初代所長となり日本の特許制度を整えた(この間、畜産事業で詐欺にあり、銀相場で失敗する)
- 銀山経営のためにペルーへ→大失敗し破産
- 日銀へ→日銀本店の工事をやり遂げる→日銀西部支店の初代支店長(下関、門司)→横浜正金銀行本店支配人(ここで生きた国際金融を学ぶ)
- 日露戦争の戦費調達(流暢な英語力で英国銀行家から5000万円調達)
- たまたま晩餐会で隣合わせたニューヨークのクーン・ローブ商会のジェイコブ・シフからの残りの5000万円調達(反ユダヤ主義のロシアを嫌悪)
- 日銀総裁→総理大臣→6度の大蔵大臣→2.26事件で6発の銃弾で死去
コメント
総理大臣や、何回も大蔵大臣を経験したこと、2.26で亡くなられたこと、初代特許庁長官というのは、良く聞く話なので、知っていましたが、これほど波乱万丈の人生とは知りませんでした。
特に、葡萄園に売られてしまい、奴隷同然の労働をしていたとありますので、そのときは、大変だったんだろうなと思います。
他にも、詐欺にあったり、相場で失敗したり、銀山経営で失敗したり、芸者遊びで失敗したり、失敗が沢山あるのが、筆者もいうように、高橋是清の人間的な魅力を出していると思います。
しかし、何回も来る災難から、生きた英語ができることが、高橋是清を助けていると思いました。
当時、生きた英語は、相当価値があったんだなと思います。
特許庁からもらった、特許行政年次報告書2018年版によると、
特許条例は明示18年(専売特許局が新設、高橋是清が初代所長)
とあります。
商標登録所は1年だけで、専売特許局の一部門になったのでしょうか?
その後、明治21年に、高橋是清の欧米視察があり、意匠条例の制定、専売特許条例と商標条例の改正があったとあります。
どちらにしても、特許や商標を専門にする人は、高橋是清には関心を持っておく必要がありそうです。