Nishinyの商標・ブランド日記

商標・ブランドの情報です。弁理士の西野吉徳のブログです。

サーチコスト理論

宮脇先生の論説を読んで

最近、特許庁の商標に関する日中商標研究の論文を4つほど読んだのですが、立命館大学の宮脇教授の論文に、サーチコスト理論の紹介がありました。

実は、別の人からも、サーチコスト理論の話を聞いたので、そんなものがあるのかと思っていたところ、宮脇教授の論文を紹介していただいたので、それを読みましたので、その感想です。

 

北海道大学の知的財産法政策学研究のVol.37(2012)です。

知的財産法政策学研究 | 情報法政策学研究センター

 

商標制度を昔ながらの混同防止で捉える(混同理論)のではなく、需要者のサーチコストで捉え直すというもののようです。需要者のサーチコストの削減が、標識の本質的機能であるというものです。サーチコスト理論は、混同理論に代替になりうる理論とのことです。

 

1987年のアメリカのLandes & Posnerの研究がスタートのようです。シカゴ学派の系統とあります。(※ 「法と経済」の手法で分析しています。)アメリカでは、一定の支持を得ているようです。

 

宮脇教授は、Landes & Posnerの研究について、評価をしつつ、批判を加えています。少し専門的で、まとめる力もないので、このあたりは論文を読んでもらえればと思います。

 

混同理論では、「打消し表示」をされてしまうと(先行商標を表示してても、それとは無関係ですと記載すること)、混同は生じず、侵害追及できなくなるところ、サーチコスト理論では、需要者のサーチコストは発生しており、侵害追及できるようになるとあります。(※ 打消し表示は、混同理論の弱いところのようです。)

 

ただ、サーチコスト理論は、米国法の特徴である「希釈化防止」については苦労をしているとします。希釈化防止の理論的根拠については、商標を財と捉えるが、一番わかりやすいとします。

 

一方、宮脇教授は、日本の商標法の類似について、このサーチコスト理論をあてはめようと考えているようです。

 

渋谷達紀先生の「商標法の理論」以来、従来は、商標の類否判断において、抽象的な混同のおそれを問題とすることは、法的安定性や予測可能性の点から正当化されていたものを、

この抽象的な混同(混同のおそれ)を、サーチコストの増大防止で捉え直してはどうかとしています。(しかし、その実際は、登録についての氷山印事件や侵害についての小僧寿し事件になるとします)。

 

コメント

混同理論でいっても、サーチコスト理論でいっても、ほとんど同じ結論になり、一部、打消し表示のような問題でサーチコスト理論の方が、優れているのだと理解しました。

 

サーチコスト理論の中にも、混同で判断しているような記述もあり、物事の言い換えにすぎない面もあるように思います。

 

ただ、Landes & Posnerは、アメリカ商標法の根拠をサーチコスト理論で説明しようとしている訳ですが、宮崎先生は、日本の商標の類似を、サーチコスト理論で説明しようとしています。

 

サーチコスト理論から離れますが、商標の類否を、混同の枠内で取らえるとすると実際に混同をしていないときは、非類似となります。一方、商標の類否を、混同のおそれで、抽象的に捉えると、実際の混同がなくても、商標権侵害とすることが可能です。

しかし、実際、不使用なのに権利侵害追及することはありませんので、それは、現実にはない架空の話です。

 

アメリカは(使用を前提として)混同+はみ出し部分は希釈化防止で、②中国は(使用を前提とせず)混同=商標の類似解釈しようと努力して、③日本は現実の混同の他に混同の蓋然性の範囲に類似という別ものを作って緩衝地帯を置いています。

 

登録主義といわれるもの自体が、大きなフィクションです。不正競争防止法が強くなった現在、侵害事件では、商標登録は実はあまり機能していません。

登録は事前の秩序形成機能と、ライセンスのためのものになり下がっていると思います。

商標登録に以前の強さを求めるなら、不正競争防止法の視点を、商標登録に入れるしかないように思います。

 

類似な考え方は、少くとも、侵害時は、中国の方が素直です。

 

この30年ぐらい使用主義と登録主義という対立概念を良く使いますが、そうでも無いのに、登録が絶対と誤解を生む表現なので、昔の先使用主義と先願主義という概念に戻るべきだと思います。