アンパンマンの遺書
近くの有隣堂(神奈川県でメジャーな本屋)で見つけた「アンパンの遺書」(やなせたかし、岩波現代文庫版)を読みました。
やなせたかしさんが、アンパンマンの著者であることや、人生の後半になってからアンパンマンで大成功を収められたことは知っていましたが、その人となりや人生についてはあまり深く知りませんでした。
この本は自叙伝で、2013年に亡くなる8年前の1995年に発行されたものの文庫版です。
アンパンの他にも、「手のひらを太陽に」の作詞者としても知られているようですし、「やさしいライオン」「ミスター・ボオ」などの漫画、虫プロの「千夜一夜物語」のキャラクター設定などをされているようです。
基本は漫画家ですが、グラフィックデザイナーの仕事もしておられ、三越の包装紙のデザイン(これはデザイン依頼者側の担当者として関与)などもやっているようですし、演劇の美術監督とか、「詩とメルヘン」の編集長とか、マルチな才能があった方であるということが良く分かりました。
戦前の東京田辺製薬や戦後の三越の宣伝部での話も面白いなと思いました。イメージとして戦前は戦後とは違う世界というイメージがありますが、やなせたかしさんの目を通して戦前を見ると、戦後とつながっている、さほどは変わらない世界に見えました。
戦前、戦中、戦後、アンパンマンがヒットするまで、ヒットしてからと、話は続くのですが、本人はいたって淡々とした記述をしています。しかし、こちらから見たら波乱万だなと思う人生です。
アンパンマンのヒットまでが長いのですが、1988年のアンパンマンのアニメ化のときは、1919年生まれですので69歳です。亡くなられたのが2013年(94歳)ですので、晩年の25年はアンパンマンの作者として超多忙な時期を過ごされています。
ビッグヒットは遅いのですが、もしもそれがなくても、グラフィックデザイナーや漫画家としても、この本に書いてあるような仕事が出来ているということは、凄いことなのですが、やはりアンパンマンは別格です。
さて、面白かったのは、交友関係の幅の広さです。これは驚くほどです。
いずみ・たくは「手のひらを太陽に」の作曲家ですので特別に親しいとしても、手塚治虫、永六輔、宮城まり子、サンリオの社長(辻信太郎)と相当濃密な仕事をされています。
漫画家の名前は知っている人もいますし、そうでない人もいます。
そのため、この本は文化論としても読めるようになっています。
ラジオドラマの仕事で、増山江威子さんなどの声優とも接点があるようです。
やなせたかしさんに特別な魅力があったということだと思います。このような様々な方との接点を通じて、いろいろな知識を蓄積して、その集大成がアニメーションであり、アンパンマンなんだということが良く分かりました。
戦争から帰ってきてからの、奥さんとの話も非常に面白いものです。
来る仕事をこなしていて、最後にその集大成ができるなんて、素敵だなと思いました。
高知県の香美市立やなせたかし記念館は遠いので簡単には行けないですが、新型コロナウイルスの騒ぎが収まれば横浜のアンパンマン・ミュージアムに行きたいなと思っています。