2021年6月5日付の毎日新聞に掲載された、「はらぺこあおむし」を素材にした、IOCや政府に対する風刺漫画が、批判されています。
「本当に残念」「猛省を求めたい」 はらぺこあおむし風刺漫画に版元激怒...掲載の毎日新聞「真摯に受け止める」: J-CAST ニュース
「はらぺこIOC 食べまくる物語」というタイトルで、IOCのバッハ会長、コーツ副会長、パウンド委員が、「放映権」と書かれたゴリン(五輪)の実をむさぼっています。バッハ会長の横には東京で会いましょうとあります。また、菅首相がゴリンの木に水やりをしながら、「犠牲が必要?!」と言っています。
これに対して、「はらぺこあおむし」の出版元の偕成社の今村正樹社長が抗議文を出しています。
風刺漫画のあり方について | 偕成社 | 児童書出版社 (kaiseisha.co.jp)
ちょっと長いですが、引用します。
風刺の意図は明らかで、その意見については表現の自由の点から異議を申し立てる筋合いではありませんが、多くの子どもたちに愛されている絵本『はらぺこあおむし』の出版元として強い違和感を感じざるを得ませんでした。
『はらぺこあおむし』の楽しさは、あおむしのどこまでも健康的な食欲と、それに共感する子どもたち自身の「食べたい、成長したい」という欲求にあると思っています。金銭的な利権への欲望を風刺するにはまったく不適当と言わざるを得ません。
作者は多分ニュースでカールさん逝去の報を知り、「偲ぶ」という言い方をしていますが、おそらく絵本そのものを読んでいないのでしょう。もし読んだうえでこの風刺をあえて描こうとしたのだとしたら、満腹の末に美しい蝶に変身する結末をどのように考えられたのでしょうか。
風刺は引用する作品全体の意味を理解したうえでこそ力をもつのだと思います。今回の風刺漫画は作者と紙面に載せた編集者双方の不勉強、センスの無さを露呈したものでした。繰り返しますが、出版に携わるものとして、表現の自由、風刺画の重要さを信じるがゆえにこうしたお粗末さを本当に残念に思います。日本を代表する新聞の一つとしての猛省を求めたいと思います。
これに対して、毎日新聞は、J-CASTニュースに回答し、「掲載した風刺漫画は肥大化するIOCに対する皮肉を表現した作品です。今回のご指摘を真摯に受け止め、今後の紙面作りに生かしてまいります」としています。
コメント
毎日新聞の風刺漫画は、「はらぺこあおむし」のファンの気持ちを無視してしまって、ファンが怒っているいるようです。偕成社の抗議文は社長は、ファンの気持ちの代弁のような気かがします。
また、偕成社の社長のいうように、最後に蝶になるという点まで含めて、「はらぺこあおむし」の作品の意図や全体像を理解したうえで、この風刺漫画は描かれていないというのは、その通りだろうと思います。
法的には、「はらぺこあおむし」の美術の著作物に対する著作権侵害ということなんでしょうが、今回は、「はらぺこあおむし」と「はらぺこIOC」にかけている(「あおむし」と「あいおーしー」が発音的に近い)という言葉遊びがあるので、余計に「はらぺこあおむし」との類似性が出てきます。
偕成社社長は、どうせ風刺画やパロディにするなら、その作品を本当に理解した上で、やってくれと言っていますので、なかなか難しい要望です。
今回は、著作物性、依拠性、類似性などが、明らかなので、作者のが亡くなっており著作者人格権の同一性保持権の問題はないにしていも、毎日新聞も、ちょっとやりすぎたかなという気がします。
法的には、パロディとして、著作権侵害が否定されるかどうかですが、明文のパロディ除外規定も、フェアユースの規定もない日本ですので、現行法では難しいのではないでしょうか。
ただ、よく聞く話ですが、パロディとして認められるには、ウィットが利いており、なるほどというという知的なものが必要といわれます。今回のものに、それがあるかどうかです。
今回は、はらぺこあおむしのファンの気持ちを、理解していない。ファンを敵に回してしまっている意味では、風刺画ではあってもパロディとはなっていないのかもしれません。
偕成社は表現の自由を認めるとしていますので、訴訟等にはならないようです。それに対応して、毎日新聞も早々に謝罪的な文章を発表していますので、法的にはこれで一見落着だろうと思います。
もし、偕成社側が著作権侵害で損害賠償請求や謝罪を主張した場合、毎日新聞も反論せざるを得なくなり、日本の裁判所では、著作権侵害と結論がでる可能性が高いものの、パロディとして認めらるとか、風刺漫画とパロディの差とかの判断が出たかもしれず、当事者は大変ですが、どんどん争った方が、議論が深化するためには良いのかなと思いました。
毎日新聞としては、裁判になったら負けると分っていて、それでもインパクトがあるので、東京オリンピック中止の意図を込めて、GOを出したというところでしょうか。