2019年6月19日の朝日新聞で、ウルトラマンが小さくなった理由という記事を読みました。
ネットフリックスで、4月からウルトラマンシリーズの最新作の「ULTRAMAN」が世界配信されているようです。
ULTRAMAN | Netflix (ネットフリックス) 公式サイト
- 原作は、2011年から月間ヒーローズに連載されている漫画
- 自分たちなりのウルトラマンを作る宣言
- 初代ウルトラマン開始は、1966年
- ウルトラセブンは、1967年
- ベトナム戦争、安保条約下での日本のありようが潜在テーマ
- まもるべき地球は日本の比喩
- 科学特捜隊は「自衛隊」。無力な防衛組織に代わり、圧倒的力を行使する、ウルトラマン、ウルトラセブンが米軍
- 「ULTRAMAN」は、米国のプレゼンスが後退すつつある東アジアを反映
- 日本自身が小さなウルトラマンになって自らを守る
コメント
記事では、上記の評論家の意見と、円谷プロ側の制作意図の紹介もあります。
ウルトラマンは悩みつつ行動する存在で、1996年からのウルトラマン三部作では、ウルトラマンは未来を歩く地球人自身で、いつかは自分もウルトラマンに近づけるかもというコンセプトがあるとあります。
円谷プロの説明は、わかったようなわからないような説明ですが、それに比べると、上の説明(評論家の宇野常寛さん)の説明は、良く分かります。
なぜ、科学特捜隊は、いつも弱いのかと思っていました。
強いウルトラマンと対比させるには、科学特捜隊は弱い方が設定しやすかったのかもしれません。
あと、最近のウルトラマンが小さくなった理由に、パリウッド映画のアメコミヒーローとは異なる等身大ヒーローを生み出す意図などという説明もありました。
アメリカのアメコミヒーローは、スーパーマン、スパイダーマン、バットマン、アベンジャーズなどみな等身大です。
アベンジャーズとは|アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー|マーベル公式
これはまた、なぜ等身大である必要があるのか?は論点です。
等身大の方がリアリティがあるし、自分もヒーローになれるかもしれないというのがあるのでしょうか?
海外で大きなものは、キングコングぐらいしか思いつきません。フランケンシュタインは多少は大きいですが、巨大というほどではありません。
これに比べると、日本のヒーローは、マジンガーZや、バビル2世、ガンダムなどのロボットものを含めて、皆大きい感じがします。タイムボカンシリーズのロボットも、そこそこ、大きい感じです。
この違い、あまり考えなかったですが、日本人と、アメリカ人の考え方に何か違いがあるのかもしれません。
ゼウスやポセイドンになると、ちょっと大きい感じがしますので、古代ギリシアの感覚は、日本に近いのかもしれません。
ウルトラマンは神様であり、人を超越しているが、アメコミヒーローは、より人間に近いということなんでしょうか?