Nishinyの商標・ブランド日記

商標・ブランドの情報です。弁理士の西野吉徳のブログです。

商標に関する日中共同研究

商標の類否判断における「取引の実情」

続きで、立命館大学教授の宮脇正晴教授の日本における商標の類否判断についての論文を読んでいます。論文のタイトルは、上記のものです。

https://www.jpo.go.jp/resources/report/takoku/nicchu_houkoku/document/h30/h30_houkoku4.pdf

 

この論文の構成は、

1.はじめに

2.登録場面における「取引の実情」

(1)最高裁判例

(2)商標の

使用態様の考慮に関する裁判例の変遷

(3)商標の周知・著名性の考慮と「横取り」問題

(4)検討

3.侵害場面における「取引の実情」

(1)小僧寿し事件最高裁判決とその後の裁判例の動向

(2)検討

となっています。

 

  • 氷山印事件で「取引の実情」が、考慮されることになった。しかし、

あらゆる事情を考慮して個別具体的に混同のおそれの有無につき判断すべきなのか、考慮すべき事情を限定してある程度抽象的・形式的な混同のおそれの有無につき判断すべきなのかという点につき、定見といえるべきものが存在しない。

とします。

  • 保土谷化学社標事件のいう

「商標の類否判断に当たり考慮することのできる取引の実情とは、その指定商品全般についての一般的、恒常的なそれを指すものであって、単に該商標が現在使用されている商品についてのみの特殊的、限定的なそれを指しものではない」

  •  を評価し、恒常的でない事情(浮動的事情)や、指定商品の一部しか妥当しない事業(局所的事情)は類否判断において考慮しないとします。
  • 登録時においては、引用商標「ROYAL FLAG」があるなかで、本件商標「REEBOK ROYAL FLAG」が出願された時に、知財高裁が類似性を否定したものを紹介しています。
  • 判決は、周知な「REEBOK」があるので、本件商標は全体として一体的に観察するか、「REEBOK」の部分だけで引用商標と対比すべきとします。
  • これに対して、筆者は、サーチコスト理論(商標制度の目的は商標によるサーチコスト(商品・役務の探索コスト)の削減であり、「混同のおそれ」は、法で規制すべきサーチコストの増大の有無について判断するメルクマークにすぎない)を用い、商標以外の要素をできるだけ捨象して抽象的に混同のおそれの判断をすべきとします。
  • また、侵害時については、小僧寿し事件を紹介しています。
  • 商標の特定方法が登録場面と、侵害場面では異なるとしますが、商標の特定を超えた個別具体的な事情については、登録場面と同様、考慮すべきでないとします。商標権者側の事情については、それが指定商品一般に妥当するような事情といえない限りは、考慮すべきでないとします。

コメント

商標制度の目的が、サーチコスト理論で見るというのは、聞いたことがあるのですが、宮脇先生の考え方なのですね。

今度、読んでみます。

 

先日、パテントにあった工藤先生の論文をみて、氷山印事件の判決を、限定的にとらえ、保土谷化学社標事件を重視し、商品の類似は、一般的、抽象的に見るということを言っておられると思いましたが、工藤先生は、侵害時は、裁判所が総合判断するという立場と思いました。

 

それに比べて、宮脇先生は、侵害時も一般的・抽象的に、類似を判断するという立場のようです。

 

中国の類似概念は、混同を含んだものであり、少なくとも、侵害時は条文にもそのように明示されている(登録時は、審査基準に明示されている)のと、真逆です。

 

4条1項11号と15号の射程範囲が重複しても良いとすると、日本でも中国的な運用が可能になります。

サーチコスト理論も、一般的・抽象的な方を後押しするのにも使えますし、具体的・個別的な判断を後押しするのにも使えそうです。

 

審査の実務に従い、できるだけ一般的・抽象的にする立場は、それはそれで、理解できないことはないのですが、

素直に考えると、消費者は商品購入時に、総合的判断をしているのであって、あまり一般的・抽象的と言い過ぎるのもどうかと思います。

日本では、類似概念が迷路に入ってしまった感じがあり、中国の方が素直な感じがします。

 

旧英国法的に見ると、商標同一・商品同一のダブルアイデンティティが一番重要で、その周辺に類似がありますが、類似が日本ほど、重視されていないように思います。先使用をベースに考えて、ある程度、長年使っていて、社会的に問題を生じていないなら、その商標に問題ないと判断ができます。

この発想、台湾でも聞いたことがありますが、日本では聞いたことがありません。沢山の使用証拠を出すのは、識別性のときですが、英法的に考えると類似を否定するのにも、使用証拠が有効なようです。

 

日本の商標制度は、テクニカルな概念である「商標の類似」に、振り回され過ぎていると思います。

その意味では、なるべく機械的に類似を適用する宮脇先生の説明も分かりますが、REEBOKではないですが、現実とギャップのある結論が出てきて、そうもいかないなと思います。